2025年3月25日に、旧統一教会への解散命令が東京地裁において決定されましたが、これを受けて教団は即時抗告(一般の裁判における控訴のようなもの)をしました。本日2026年3月4日、東京高裁は地裁の決定を支持し、この抗告を退けました。つまり高等裁判所においても旧統一教会に解散命令が出されたということです。
今日から旧統一教会は「解散した法人」になりました。
宗教法人法第81条第5項には「解散の命令に対する即時抗告は、執行停止の効力を有する」と書いてありますから、今日まで解散命令は執行停止されていたのですが、今日の高裁決定によりこの停止が解除され、その時点で教団の解散(清算)手続きが開始されることになります。
教団側はこれに対して特別抗告(一般の裁判における上告のようなもの)をすることができますが、この抗告には執行停止の効力がありませんから、最高裁の判断を待つことなく、今日の時点から教団に対して解散の効力が生じ、清算手続きに入ります。つまり簡単に言えば今日の時点で教団は解散され、清算法人になったということです。清算人には伊藤尚(いとう ひさし)弁護士が任命されました。ただし、最高裁が教団の訴えを認め、地裁・高裁の決定を覆した場合には執行手続きは停止されます。反対に言えば、最高裁が決定を覆すまで解散手続きは今日から粛々と進むということです。
簡単に言えば、旧統一教会は今日この日に「解散命令を請求されている宗教法人」から「すでに解散した法人」になったということです。これによって被害者や債権者は「教団の解散を求める立場」や「教団から損害賠償を受ける立場」から、「確定した清算法人の財産から配当を受け取る立場」に変わります。
教団は今日から一切の財産の支配権を失います。
教団は昨日までの時点でも既に「指定宗教法人」になっており、財産の処分を行う際には1ヶ月前までに文部科学省に届け出る義務がありました。つまり「文部科学省に届け出ればギリギリ財産の処分はできる」という状態だったのですが、今日の高裁決定を受けて、財産の管理・処分権限を完全に失い、届出をしても自分では財産の処分ができない状態となりました。一切の預金口座や不動産は清算人である伊藤弁護士の支配下に置かれることになります。この状態からさらに悪質な財産隠しなどを行う場合は、「特別指定法人」とされ、裁判所の命令によって仮差押などの処分が行われることもあります。つまり旧統一教会は、一切の財産の支配権を失ったということです。
裁判所が指摘した事実
教団側は「2009年のコンプライアンス宣言以降は健全な運営をしている」と主張していましたが、この宣言以降も教団は献金の目標額を下げるなどの措置はとらず、各年度の会計書類における献金収入の予想額も500億円前後のまま変わることはなく、この宣言は「訴訟件数を減らして問題を顕在化させないことに重点を置いたものであった」と三木素子裁判長は指摘しました。つまり、コンプライアンス宣言とは名ばかりで、その宣言以降も教団が「教義を用いた集金システム」でありつづけたということです。
さっそくの「資産隠し」?
教団側は今日の高裁の決定を見越してか、約1200人の「正職員」のうち、約340人の早期退職を2月に決めています。退職金の総額は上乗せ額も含めて数十億円になる見込みです。これは一種の「資産隠し」とみなされる可能性があります。この支払いが認められれば、数十億の資金が被害者への賠償資金から外れることになり、受け取った元職員は「任意の寄付」という形でこのお金を韓国の本部に送金したりすることもできます。ただし、この支払いはまだなされておらず、4月になる予定とのことですから、既に今日をもって財産の支配権を失った教団は、自身の意思ではこれを支払うことができません。これを支払うには清算人が「その支出が生産の目的の範囲内」であり、かつ「他の債権者(被害者)の利益を不当に害さない」と判断する必要があります。清算人はこれを「資産隠し」や、特定の個人への利益供与である疑いを認めた場合は、この支払いを拒否することができます。
退職金や未払い給与などの「労働債権」は一般的には清算の手続きにおいても他の債権よりも優先して支払われますが、上乗せ分があるなどの点から「労働債権」とみなされない可能性もあります。
債権者(被害者)がこれからするべきこと
清算人は就任(つまり2026年3月4日)から2ヶ月以内に少なくとも3回、官報に債権申出の公告を出します。債権者は定められた期間内(一般的には2ヶ月以上)に、被害額や根拠を清算人に届け出なければいけません。この期限を過ぎてしまうと被害についての賠償を受けることはできなくなります。既に教団が把握している被害者には、教団は個別に通知する義務があります。この届出についてはおそらくこれから何らかの窓口が用意されるかと思いますから、被害の心当たりのある方は注意しておいてください。
これから最高裁で論じられるであろう論点
さて、教団は今日の決定を不服としておそらく最高裁に特別抗告をするものと思われますが、その訴えは以下のようなものが予想されます。
1、「信教の自由」の侵害
今回解散されるのは宗教法人であって宗教団体ではありません。「宗教法人」と「宗教団体」は法的にはまったく別のものです。宗教法人法によれば、宗教行為を行うのはあくまで宗教団体であって、宗教法人はいわばその「財産管理団体」でしかありません。ですからもし裁判所が宗教団体としての教団の解散を命じたのであれば、それは信教の自由の侵害になりますが、今回の決定はあくまで宗教法人としての教団の解散ですから信教の自由の侵害にはあたりません。信徒の皆さんは今まで通りの信仰を持ち続け、宗教行為を続けることができます。
現に、日本には宗教法人格を持たずに単に宗教団体として宗教活動を行っているお寺や教会、神社がたくさんあります。それは宗教法人格をもって活動している団体と同数か、それ以上だと言われています。つまり、宗教法人格は宗教行為に必須ではまったくありません。
教団側はよく「解散命令は宗教団体に対する死刑判決だ」と主張しますが、宗教法人としての解散は「特権の喪失」に過ぎず、まったく「死刑判決」などと形容されるべきものではありません。
2、「比例原則」への抵触
比例原則というのは、憲法上の権利を国が制限する場合でも、その制限は必要最小限の手段でなければいけないという原則です。教団側は「不法行為とはいえ、個別の民事裁判で対応可能なのだから解散命令は『必要最小限』とは言えないと主張します。しかし裁判所は「数十年に渡り、システマティックに数千億円規模の被害を生じさせてきた事実はもはや個別の事案の集積ではなく、そのシステム自体を除去しなければ対応できない」と判断したということです。これは裁判所が旧統一教会を「宗教行為を行う団体」ではなく「宗教を用いて集金するシステム」とみなしたということです。
裁判所は2009年のコンプライアンス宣言以降も献金収入の目標を500億円前後に維持し、継続してノルマを課していたことからも、もはや教団が自発的に不法行為を防止するための対策をとることは期待しがたく「信教の自由など憲法上の権利などに及ぼす影響を考慮しても解散を命じることが必要でやむを得ない」と結論づけました。
宗教法人法第2条では宗教法人を「宗教の教義を広め、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」団体と定義しています。つまり宗教法人にとっては、あくまで教義(信仰)が目的であり、寄付はその手段であらねばならないということです。しかし旧統一教会の場合は教義が「ノルマ達成」や「送金」を正当化するロジックとして機能しており、もはや寄付を目的、教義を手段として用いていたということになります。その「不法な集金システム」に対して解散命令が下されたということですから、被害規模と比較しても「必要最小限」の対応であるということになります。つまり「他の手段によっては、国民の権利を守るという目的を達成できない」ということです。
3、「法令に違反して」の解釈
これまで解散命令が決定されたオウム真理教と明覚寺の二例は、どちらもたしかに刑法への違反を根拠とした命令でした。旧統一教会は「私たちは刑法違反ではなく、あくまで民法違反に過ぎないのに、解散命令を出されるのはおかしい」と主張しています。しかし、宗教法人法81条には単に「法令に違反して」と書いてあるのみであり、解散命令にいたる理由を刑法違反に限定する文言はありません。民法上の不法行為であっても「法令に違反して」いることに変わりはありません。2024年の東京地裁決定でも「組織制・悪質性・継続性」が認められる場合には民法上の不法行為であっても宗教法人法81条の「法令に違反して」に該当すると判示しています。つまりわかりやすくいえば、前の2例がたまたま刑法違反を理由としただけであって、民法違反が解散命令の理由にならない根拠にはならない、ということです。
4、憲法14条「法の下の平等」の侵害
教団は「特定の宗教法人のみをターゲットにした解散命令の請求は宗教的な偏見に基づいた差別的運用であって憲法違反である」と主張します。しかし、宗教法人というのは広義の公益法人の一種であると解釈されます。公益法人はその認定基準から著しく逸脱したり、公益に反する不正を行ったりすれば認定取り消しや解散命令の対象になります。その中で宗教法人だけが、どれだけ社会に害を与えても「信教の自由」という盾をかざせば処分を免れるというのは、その方がむしろ憲法が定める「法の下の平等」に反することになります。
以上、4つの論点に触れましたが、一貫して言えるのは裁判所が解散命令という形で判断を下したのは、旧統一教会の「教義の善悪」や「宗教としての正邪」ではなく、「法人としての振る舞い(社会的実害)」に対してだということです。
ひとまず今日はここまで
今日の時点でこの問題について言えることはここまでです。これから数日にわたって少しずつまた情報が出てくるかと思います。この問題に興味のある方はどうか冷静にニュースに触れていただきたいと思います。これは「旧統一教会が解散した!ざまーみろ」という問題ではまったくありません。この問題を契機に、今一度、宗教法人に求められている使命や社会的役割について、よくよく考えたいと思います。今回の決定で裁判所は「教義のための献金や寄付は認めるけれども、お寺や神社や教会が『教義を利用した集金システム』であるなら容赦はしないぞ」ということを示したわけです。これは現在、残念ながら水面下で生じてしまっている「マネーロンダリングや税金逃れのための装置」としての宗教法人に対しての明確なメッセージであるとも言えます。
「教義の問題」と「社会的問題」、そして「法的問題」をきちんと分けて考えることが、この問題だけに限らず、これから宗教に関わる人にとって大切なことです。それらを混同してしまうと、不毛な「ざまーみろ論」のような感情論に陥ってしまいがちですし、そういった論調はこれからの宗教界を衰退させることにもなりかねません。